安全第一(ふつうエッセイ #288)

解体ブームではないと思うが、近所のそこかしこで解体工事が行なわれている。

顔馴染みだったおばあちゃんの家も、半年ほど前にすっかり取り壊されてしまった。もちろん他人さまの事情であって、古い家を解体することに口出しする筋合いはない。それでも近所に住む者として、慣れていた風景が変わってしまうのは、やはり一抹の寂しさがある。

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ふと歩いていて思ったのだが、「安全第一」って面白い考え方だなと思った。

工事現場にいけば、必ずどこかに「安全第一」という言葉が掲示されている。これは言うまでもなく、工事に携わる人たちの言葉であって、道行く僕たちに向けられたものではない。(僕たちに向けては、「ご迷惑をおかけします」的な掲示がされていることがある)

こんなことをいうと非道に思われてしまうが、工事に携わる人たちが「安全第一」かどうかは、僕たちには関係がないことだ。どこぞの小売業の会社が「僕たちはお客さま第一です」と宣言しているのと同じ原理であって、そのメッセージは内にさえ向いていれば事足りる。

お客さま第一だけどサービスが最悪、みたいなこともある。安全第一を徹底した結果、工事がとことんまで杜撰で周囲に迷惑をまき散らしている、みたいなことも可能性としてはあり得る。

でも、たぶん「そうはならないだろうな」と考えるのは、安全第一を徹底しているような職場であれば、工事だってきっちりと取り行なわれるはずであるという期待があるからだ。まあ確かに「俺たちは最高の工事屋だぜ」なんて宣言されても、どこか嘘っぽく感じてしまうだろう。

よくよく考えると、「安全第一」を徹底することは、工事に携わる人たちにとって最も重要である。危険が伴う工事現場において、生命が保障されているのは心強い。心理的安全性が保障されていれば、働きがいもあるし、結果的に良いアウトプットが出せるだろう。なるほど、理にかなっている。

千里の道も一歩から。

というのは、ちょっとズレているかもしれないけれど。とにもかくにも、まずは自分たちが良い感じで働くというのが、けっこう大事なのだ。

安全第一。

一周廻って、なかなか良い言葉に思えてきちゃったよ。