「知る」と「知り合い」(ふつうエッセイ #254)

「知る」ことは、とても大切なことだ。

知らないことを知るという意味の「無知の知」という言葉があるが、何においても知らないよりは知っておいた方が良い。たとえそれらが、すぐに記憶から抜け落ちてしまったとしても。

人同士の付き合いにおいて、お互いのことを知れば「知り合い」という関係になる。朝会えば挨拶を交わすし、少し時間があれば2, 3分程度の立ち話をすることもある。

「時間があるときに、ちょっとお茶でもしますか?」となると、関係性が少しだけ深まる。即友人とはならないが、「何かあったら〜〜のことを相談してくださいね」なんて間柄になったりする。そういう人が増えると、人生は少しだけ豊かになる。

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思うのだけど、これは人同士の付き合いに限らないのではないだろうか。

村上春樹さんの『ノルウェイの森』を読んでみる。初めての村上文学であり、なるほどこれが世間で評判の高い村上文学かと知ることができる。人によっては「あまり面白くないな」という印象のまま、村上文学を知るだけで終わってしまうこともあるだろう。ただそれでは、知り合いになったに過ぎない。

デビュー作の『風の歌を聴け』はどんな作品だろう。映画化で話題になった『ドライブ・マイ・カー』も読んでみよう。エッセイも多数出版しているようだ。3冊の単行本で構成されている『1Q84』も頑張ってみるか──

そんなふうに村上文学を読み進めていくことで、村上文学の特徴をグッと掴むことができる。友達のような関係にはなれないかもしれないけれど、ある程度の自信を持って「村上春樹の〜〜って、こんな話だよ」と言えるようになるはずだ。

知ること、知り合いになることは、スタートに過ぎない。

徒競走において、スタート地点に立っただけで満足する人はいないだろう。結果はどうなるにせよ、走り始めることに意味がある。(もちろんスタート地点に立つだけでも意義があるのだが)

始点と、終点を混合してはいけない。

終点は、案外遠いところにある。気が遠くなるような道のりだけど、少なくとも始点は手近に存在している。始点にはすぐ立てる。始点に立ったら、もうちょっとだけ歩いてみよう。心身をきちんと動かすことで「知り合い」はちゃんと深まっていくものだから。