留学生活が始まってから数ヶ月経って、英語でのコミュニケーションにもだいぶ慣れてきた。そこで、僕は、大学が提供する外国人留学生向けのオランダ語講座を追加で履修することにした。大学の授業は英語で、街のあらゆる場面で英語が通じるアムステルダムだけれども、オランダの公用語は当然、オランダ語。それまでは、簡単なあいさつくらいしかオランダ語を使っていなかったけれど、英語が少し上達し、欲が出てきたので、オランダ語の講座に申し込んだ。履修したのは、超初心者クラス(英語では、absolute beginner class)。オランダ人の先生による英語でのオランダ語の授業。教科書には、オランダ語でオランダ語の文法や言い回しの解説が書かれている。英語を話すのにも苦労していた以前の僕からは大きな進歩だ。
僕はこの週2回のオランダ語の講座が楽しみだった。その後、修了試験に合格して、次のクラスに進むことができた。次のレベルは、超初心者から超がなくなっただけの初心者クラス(beginner class)だったけれど、同じクラスにはドイツからの留学生も在籍していて、それも僕の得意げな気持ちをくすぐった。なぜなら、ドイツ語とオランダ語は似ていて、兄弟みたいな言語だから。英語も満足に話せなかった自分が、今はドイツ人と一緒にオランダ語を学んでいるということが嬉しかった。しかも、同じ時期に留学していた日本人の友達も超初心者クラスは取っていたけど、次のクラスに進級したのは自分だけ。
その後、僕は、スーパーマーケットで、レストランで、機会を見つけては自分のオランダ語を試した。もっとも、定型のフレーズは話せるけど、相手から知らない単語が返ってくるとフリーズしてしまうという実は一方通行のやりとりだったけれど、それでも、見ず知らずの言語を学ぶことができて、僕は満足だった。頑張ればなんとかなるという達成感に浸っていた。
オランダ留学から帰ってきて、僕はNGOでのインターンを始めた。バングラデシュの現地スタッフとのやり取りは、全て英語だ。1年間のインターンシップの最後に、バングラデシュ現地で6週間働くことになった。僕は、6週間という短い現地滞在期間だけど、バングラデシュの言葉、ベンガル語を少しでも覚えようと、ベンガル語の語学本も買い求めた。オランダ語もできたんだ、ベンガル語を片言でも話せれば現地の人に喜んでもらえる、と小さな目標を打ち立てた。バングラデシュでの有意義な経験は先に書いたとおりだが、片言のベンガル語も大いに役に立った。
バングラデシュから帰国後、例の「遠くの国の人だけじゃなくて、目の前にいる私を、助けて」という言葉を受けてから、僕は彼女へもっと多くの意識を向けるようにした。意識を向けるという表現は、恋人への表現としては、よそよそしくて、回りくどいかもしれない。けれども当時の心持ちを的確に表している気がする。