陰翳礼讃(ふつうエッセイ #144)

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』を久しぶりに読んでいる。

この本を知ったのは、グラフィックデザイナー原研哉さんの『デザインのデザイン』を読んだとき。羊羹の色あいが実に深く、複雑であることを指摘した谷崎の言葉を引用して、自らのデザインに影響を受けたと話している。

『陰翳礼讃』では、以下のように書かれている。

かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を讃美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。玉のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光りを吸い取って夢みる如きほの明るさを啣んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。

文・谷崎潤一郎、写真・大川裕弘(2018)『陰翳礼讃』パイ インターナショナル、P100〜101より引用

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『陰翳礼讃』を初めて読んだのは、大学生のときだった。

そのときはまるで理解できなかった。どうやら陰影というものが日本の美術や工芸に影響を与えてきたらしい。その程度の理解だった。

折に触れて読み返してみたが、やはり深い関心は持てなかった。20代の僕はヨーロッパのアートやデザインが輝いて見えた。もはやメジャーな商品になってしまったが、発売当時のiPhoneに心底驚いた。ロンドン出身のジョナサン・アイブの美意識に心を奪われてしまったのだ。

それに比べると、日本の工芸品は地味なもののように思えた。

谷崎の言う通り、そこには確かに美意識が凝縮されているのだろうが、僕自身は適切な言葉を添えることができない。知識と経験が不足していた。

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今年になって、少しだけ『陰翳礼讃』が実感できたような気がする。

三島有紀子さんが監督を務めた映画「Red」を観たからだ。原作は島本理生さん、主演を夏帆さんと妻夫木聡さんが演じている。

妻夫木さん演じる鞍田は、結婚している塔子と再び出会い、関係を持とうと画策する。それだけ書くと筋の悪い三流ドラマなのだが、家庭という枠に縛られた塔子が自己を解放していく姿がとても美しい。鞍田は塔子を解放させる存在として、慎ましく彼女に寄り添っていく。その過程はとても濃厚で、鑑賞中、何度も息を呑んだ。

そんな鞍田の愛読書が『陰翳礼讃』だった。鞍田は病魔に襲われ、自らの生命が長くないことを悟る。その書を不倫相手である塔子に託そうとした。原作にはなかったシーンだ。

なぜ鞍田の愛読書は『陰翳礼讃』だったのか。『陰翳礼讃』でなければならなかったのか。

ラストシーンは、光に向かって塔子が車を運転していく。これまでずっと陰影の中に居た彼女が、ほのかに見えた光に可能性を見出す場面。映画の美しさを象徴するシーンでもある。

陰翳礼讃は、陰影そのものを礼賛する話ではない。いや、陰影そのものの価値を認めている書ではある。ずっと光があると目が眩んでしまう。陰影の中に身を置いているからこそ、光の有難みを感じるのだ。つまりそれらは度合いの話だ。

不倫を持ちかける鞍田は、倫理的には許される存在ではない。それでも彼の言説は、陰影の深みや奥深さに包まれたような優しさがある。それらは日本がずっと大事にしてきた価値観であり、同時に、既に忘れられてしまった価値観でもある。

それを、鞍田は、これからも生きていく塔子に託したのだ。

ただの古典でなく、未来に生きる僕たちが指針とすべき書である、と。

鞍田の押し付けかもしれないし、事実、塔子は「受け取れない」といったんは拒絶した。だけど最終的には託されてしまったのだと思う。

『陰翳礼讃』が、多くの人に引き継がれている理由が、少しだけ分かった気がしたのだ。

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