13時間寝ることは想定されなかった(ふつうエッセイ #555)

最近時計に興味を持ち出した5歳の長男に、目覚まし時計を買った。

長男にとっては、長針も短針も、まだ馴染みがない。彼が時計、あるいは時間という概念をどのように習得していくのか。親として、彼の成長過程を見るのはいつだって楽しいけれど、生涯付き合っていく時間というものについて、ポジティブもネガティブもなく、フラットに「知っていく」過程を興味深く眺めている。

彼がこねこねいじっているアナログ時計は、当たり前だけど「12時間」が基本周期だ。デジタル時計の場合は「24時間」が基本周期になるけれど、アナログ時計は1周が12時間である。つまり目覚まし時計をセットするとき、今が20時だったとしたら、翌日の9時にセットすることができないのだ。

「今日までしんどかった〜。徹夜が続いたから、今から13時間くらい寝よう」

と思っても、9時にセットできない。目覚ましを9にセットしたら、21時にリンリン鳴ってしまう。

人間は長い歴史の中で、13時間も寝るなんて想像していなかったのだろう。そう考えると、デジタル時計は便利で、13時間寝るのもオッケーな仕様になっている。別に人間が13時間寝るなんて想定していなかったと思うけど、それでも成り立つ仕様になっているのだ。

アナログ時計が良いのは、「12」のキリの良さだ。小学校なら8時にホームルームが始まり、午前中の授業は12時で終え給食に入る。このてっぺんに長針と短針が重なるタイミングをみんなは待ち望んでいたのだ。これが「24」周期だと短針は下に振れるのだろうか。これではテンションは上がるまい。

13時間寝ることは想定されていなくても、給食の時間を待望かつ祝福するようなデザインにはなっている。

時計というのは、うまくできているものなのだ。