てんとう虫の飛翔(ふつうエッセイ #242)

息子と散歩していたら、面白い写真が撮れた。

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葉に止まっているてんとう虫を撮ろうとしていたが、iPhoneのフォーカスがなかなか当たらない。試行錯誤の末にシャッターを押したが、偶然にも同じ瞬間にてんとう虫が飛翔したのだった。

おそらく「てんとう虫が飛翔するところを撮ろう」と思っても、その写真を撮ることはできなかっただろう。写真家のプロでもない僕は、ただ目の前の景色を切り取ることだけに精一杯で、そんな瞬間を撮れるという可能性すら念頭になかった。

つまり、これは、100%ラッキーだったということ。

そこそこに人生を歩んでいる身としては、幸運なことも、幸運に恵まれなかったこともそれぞれ経験してきた。「あれは絶好のタイミングだった」としか言えないような出来事は、ひとつやふたつではない。

逆に、幸運に恵まれなかったという経験は、どこまでいっても後付けで、実は目に見えないものだ。

「幸運に恵まれなかった」と思い込んでいても、実はそれが幸運なことで、本当に幸運に恵まれなかったとしたら事態はさらに悪化していた可能性だってあったりする。

僕たちは幸運にしか目がいかないし、もっというと幸運に恵まれなかったことは、そもそも目に見えないというわけだ。

想像力を駆使すれば、幸運に恵まれなかったケースを思い浮かべることもできるだろう。だけどせっかく与えられている「想像力」という代え難い能力は、少なくとも自らの身辺においては、「あれは絶好のタイミングだった」という状況を複数シミュレートすることに使いたい。

iPhoneのカメラをとりあえず起動してみる。

ふらっと何かを撮ったものが、奇跡の瞬間を切り取るかもしれない。欲を出し過ぎないように。出不精から、脱却しよう。