コーラスの印象(ふつうエッセイ #59)

アニメ「ルパン三世」を知らない人はいない。

「泥棒」という犯罪者なのに、大きな敵に対峙するのは痛快で、多くの少年たちの憧れの存在だっただろう。

アニメのテーマ曲「ルパン三世のテーマ」は、誰もが耳にしたことのあるキャッチーな楽曲だ。疾走感、冒険感。ジャスピアニストであり作曲家の大野雄二さんの代表曲でもある。

「ルパン三世のテーマ」を流していると、ついついコーラス部分を鼻歌で歌ってしまう。ドゥ・ドゥ、ドゥ・ドゥ、ドゥ・ドゥ、「Lupin the third〜♪」という部分だ。

このコーラス部分、特に歌詞が一般に広く伝わっているわけではないので、「Lupin the third」という発声になっているのを知るのは少数派だろう。たいていの人は「ルパンでさー♪」とか、そんな感じで憶えている。洋楽で歌詞を知らずに音の感覚で憶えているようなものかもしれない。

楽曲全体の完成度が高いのは言うまでもないのだが、コーラス部分の印象もとても強い。コーラス部分がないだけで、曲の印象はずいぶん味気ないものになってしまうのではないだろうか。

それは、ちょっとだけ自分の声を重ねることのできる「余白」だからだ。

脳内で「ルパンでさー♪」と重ねるだけで、「ルパン三世のテーマ」は一気に親密になる。

もちろんそういった効果は、コーラスだけが生むわけではない。

ロックバンドの曲にさりげなくピアノの音が重なると、「おや」という変化になる。これはアレンジと呼ばれる作業であり、これが「わざとらしい」とファンから敬遠されるリスクも孕むが、ピタッと符号すると気持ち良くなる。

普段の仕事で、コーラスにあたることは何だろう、とか考えてみる。印象づけるって、結構難しい。自然と、さりげなく。あたかも最初からあったかのように。

結構どころじゃない。最難関のテーマである。