ジグソーパズル(ふつうエッセイ #315)

かなり前のトレンディドラマで、主人公の男女ふたりがジグソーパズルに興じていた場面があった。

パズルのピースがひとつなくなって「どこにあるんだろう?」と逡巡する場面。個人的にはもうちょっと真剣に、その場で、なくなってしまったピースを探しただろうと思う。

トランプやカルタの場合、なくしてしまった場合に備えて、白紙のカードが添えられていることがある。なくしてしまった数字を書き込めば、格好は悪いがゲームに支障は出ない。

だが、パズルの場合はそうはいかない。パズルはひとつひとつがユニークな形をしているから、スペアとして機能させるのは不可能に近い。

つまり、ピースが欠けたら、とても困るのだ。

野球などの団体競技において「ピースが足りない」なんて表現が使われることがある。だが頭数さえ足りていればゲームにはなるわけで。パズルの場合は、ピースが欠けたら絶対に完成しない、つまりゲームにならないのだ。

だから、ピースがないと判明したら、時間を置かず探すべきなのだ。

洋服に付着しているなど、わりと近くで発見されることが多い。直前までの行動範囲を見返せば、なくなったピースを発見できる可能性は高くなる。

だが時間が経過すると、捜索範囲は無限に広がってしまう。なくなった当日は洋服に付着したのに、その洋服で外出なんかしていたら、パズルは家の中では見つからないということになる。当然、なくなったピースを発見できる可能性は極めて低い。大問題だ。

完治もリカも、とても魅力的な人物だった。

だが、あのとき、なぜ真剣にパズルを探さなかったのだろうか。そもそも、翌日の仕事に支障が出るような真夜中まで、パズルに勤しむべきではない……けれど、それでもパズルをやりたくなってしまう気持ちは分からないでもない。パズルを通じて、二人は関係性を深めることができるのだから。

ピースがなくなった先に、ピースがある。

まあ、現実社会は、そんなに上手くはいかないわけで。パズルのピースがなくなったら、一刻も早く見つけるように努めましょう。