年始から10日が経つ(ふつうエッセイ #492)

早いもので、2023年が始まってから10日が経っている。

「経った」というより、現在進行形で「経っている」とした方が、今は正確なように思える。時間は一刻の猶予もなく、ただ未来へ向かって時を刻んでいる。

と同時に、誰もが少しずつ加齢している現実もあって。

日々の営みにおいて意識しないものだけど、誕生日とか正月とか、節目に応じて鏡の前の自分をみると「ああ、10年前とは明らかに年齢を重ねたんだな」という思いに耽る。

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つい先日、11年前にシンガポールに行ったときの写真を見つけた。

当時所属していた会社で開催された、社員旅行の写真である。国内も含めてプランは複数あった。ちょっと自費でお金を出せば1泊4日のシンガポール旅行ができるということで、僕はそのプランを選んだのだった。

そこに写っていた僕は、ユニクロの紫ポロシャツを着ていて、1ヶ月くらい切り忘れていたような髪の長さで、顎の部分に無精髭を生やしていて、なんというか格好悪かった。

20代の若さはあるけれど、いやあ、もうちょっと上手くやれなかったかい?と問い掛けたくなるようなひどさである。

今の自分だって、そこそこひどい格好はしているけれど、でも「ああ、今の方が充実してるじゃん!」という気持ちにはなれた。たぶん精神的な部分だろうか、加齢は必ずしも悪いことではない。世の中のあれこれを知ることで、自分が「ちっぽけ」であることを自覚しながら日々を営んでいく。たまに相手とやり合うこともあるけれど、それでも以前に比べたら自制というものを憶えたような気がするのだ。

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ここ10日間くらい、「あけましておめでとう!」で挨拶することが常だったけれど、おそらく数日もすれば、新年じゃないモードへと移行するだろう。次にまた新年モードに突入するのは、1年後である。

そのとき、僕は何をしているのだろうか。

まだ、ちゃんと生きているだろうか。

残り355日を生きる術は持っているつもりだけれど、一寸先は闇だったりするわけで。闇でリスクもあるならば、せっかくだから、ちょっとは「格好いい」自分に更新していきたい。

目の前のチャンスに、いつだって飛び込む準備はできているつもりだ。あくまで「つもり」だけど。

でも、そんな「つもり」を複数携えながら、日々を待ち構えるように生活していくのも一興だろう。飛び込むかどうかは分からない。でもワクワクはしていたい。

ちょっとだけ、2024年の心づもりができたような気がした。