アイデアの萌芽(ふつうエッセイ #241)

ここ数日、気管支の調子が悪い。

幼少期に喘息を患っていて、いちおう完治と言われてはいるのだけど、花粉症の時期に咳が止まらなくなる。

床に伏せっているわけではないが、集中力を要する仕事がことごとくできない。精神的な疲弊を和らげたくて、ウォッチリストに溜め込んでいた映画をひたすら観ていた。

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「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け」

もともとアフリカのことわざだそうだ。昨年、総理大臣に就任した岸田文雄さんが、所信表明演説の際に発していたため広く知られた言葉だ。

「早く行く」ことと「遠くへ行く」ことがトレードオフなのかという議論はさておき、言わんとしていることは理解できる。

プロトタイプとしてのプロダクトを作るのは少人数でやった方が早いが、生きるか死ぬか社運をかけるプロジェクトを推進するためにはベストな布陣のチームを用意した方が良い。

僕が経営している株式会社TOITOITOは、いまのところ、創業者の僕ひとりで成り立っている会社だ。世の中に貢献しているかといえば微妙なところだが、フットワークは軽い。費用がかからなければ、アイデアをサクッと形にして試すこともできる。

先ほどのことわざに倣うなら、「早く行きたい」という思いに対しては、ある意味で理想の状態だといえる。

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体調不良のため、思考を回転させるスペースが極めて小さい中だったが、少しずつ萌芽のようなアイデアが浮かんできた。

というか、もしかしたら萌芽のようなアイデアは、思考を回転させるスペースが極めて小さい中でしか浮かばないのかもしれない。

体調も万全で、仕事も絶好調で筆が乗っているときというのは、新幹線に乗っているときの感覚に近い。(僕の動力が新幹線並みかはさておき)

新横浜と名古屋と京都と大阪にしか止まらないのぞみに乗っていると、車窓の風景はすぐに流れ、記憶に止まることがない。仕事はガンガンこなせるし、目的地には早く到着できる。でも「あれ、目的地って実は青森だったかも?」という気付きには至りづらい気がする。

新幹線でなく、てぶらで外出するのはどうだろう。スマートフォンで検索することもできないし、ノートに何かを書き留めておくこともできない。頼れるのは自らの五感だけ……という状態において、それぞれの感覚器が少しだけ敏感になる。

「あれ?こんなところに、お店あったっけ?」

そんなふうに、普段は見落としていたものが目につくようになる。ふとしたきっかけで、新しいアイデアが頭を巡り、自分と対話をしながら膨らんでいく。書き留めることができない分、あれやこれやと可能性が表出する。

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効率や利便性に依存した結果、偶然の出会いがどんどんなくなっていく。マッチングアプリは、自分の趣味志向(および性向?)と合った相手が表示されていくが、その人はあまりに正しすぎる検索結果なのではないだろうか。

ちょっとくらいの間違いを、受け入れる余地があっても良い。

綺麗好きな人が、綺麗好きでない人をパートナーに選んだとしたら。その人は家事の重要性に気付いたり、家事をアウトソースするビジネスを思い至ったりするかもしれない。

そんなふうに、目的地をどんどん変えていく。

アイデアの萌芽を見つけることは、目的地をフレキシブルに変えることと繋がる。案外、ダーツで選んだ方が、人生変わる旅になるかもしれないね。