【だいきらいで、だいきらいで、もしかしたらほんの少し好きかもしれない】ふるさと・東北(小波季世さん #4)

悲しみのそれぞれの「重さ」

「東北の人に比べたら」という言い方を東北以外の人はよくする。2011年以降、東北ではこんな言葉をよく聞いた。「家が全壊した方に比べたら」「津波に遭われた人たちに比べたら」「家族を大勢亡くした人に比べたら」……。

不幸も幸せも、本来はごくごく個人的なことだと思う。同じものを見ても泣く人と笑う人がいる。満開の桜を見て、その時期に失ったものを思い出して涙する人。ただただ美しさに微笑む人。

誰しも日々の生活の中で、人知れぬ苦しみや悲しみはある。ただ、大規模災害の被害は大勢の人に対して同時多発的に起こるので、比較対象も多く生まれてしまう。

「自分の辛さなんてあの人の苦しさに比べたらちっぽけなものだ」「こんな時にこんな風に笑っていいのかな」。そんな比較や葛藤は、みな数え切れないほどあっただろう。

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少し長いが、ここで上皇后美智子様の言葉を紹介したいと思う。読書について語られた言葉だが、人生を考える上でわたしがいつも指針にしている言葉だ。

読書は私に、悲しみや喜びにつき、思い巡らす機会を与えてくれました。本の中には、さまざまな悲しみが描かれており、私が、自分以外の人がどれほどに深くものを感じ、どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは、本を読むことによってでした。
自分とは比較にならぬ多くの苦しみ、悲しみを経ている子供達の存在を思いますと、私は、自分の恵まれ、保護されていた子供時代に、なお悲しみはあったと言うことを控えるべきかもしれません。しかしどのような生にも悲しみはあり、一人一人の子供の涙には、それなりの重さがあります。私が、自分の小さな悲しみの中で、本の中に喜びを見出せたことは恩恵でした。本の中で人生の悲しみを知ることは、自分の人生に幾ばくかの厚みを加え、他者への思いを深めますが、本の中で、過去現在の作家の創作の源となった喜びに触れることは、読む者に生きる喜びを与え、失意の時に生きようとする希望を取り戻させ、再び飛翔する翼をととのえさせます。悲しみの多いこの世を子供が生き続けるためには、悲しみに耐える心が養われると共に、喜びを敏感に感じとる心、又、喜びに向かって伸びようとする心が養われることが大切だと思います。
そして、最後にもう一つ、本への感謝をこめてつけ加えます。読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても。

(中略)

子供達が、自分の中に、しっかりとした根を持つために
子供達が、喜びと想像の強い翼をもつために
子供達が、痛みを伴う愛を知るために
そして、子供達が人生の複雑さに耐え、それぞれに与えられた人生を受け入れて生き、やがて一人一人、私共全てのふるさとであるこの地球で、平和の道具となっていくために。

美智子『橋をかける―子供時代の読書の思い出』
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