【だいきらいで、だいきらいで、もしかしたらほんの少し好きかもしれない】ふるさと・東北(小波季世さん #4)

たくさんの矛盾の中で

悲しみのない人生はない。しかし、喜びのない人生もない、とは言い切れない。悲しみも喜びもそれを感じる心が必要だ。長い間、「東北出身」であることはわたしにとって大きな痛みを伴うことだった。

冒頭に紹介した「東北(被災地)出身だから内定をもらえた」という言葉は、呪いのようにわたしの胸のどこかにいつもあった。自分が何かするたび、それが成功であれ失敗であれ、そのまま東北の評価に繋がってしまう気がした。

「東北」を認めてもらえないこと=「わたし自身」を認めてもらえないことのように思っていた。

そんな風に「東北出身」が重荷な一方で、飲み会やイベントでは「東北出身」であることを話題にして振る舞う自分もいた。「東北」を嫌うくせに、東北出身という衣装を纏ってダブルスタンダードで生きる自分に疲れていた。

わたしはきっと、ずっと、「東北=わたし」を誰かに認めてもらいたかった。ほめてもらいたかった。

同時に、「東北の人たち」にわたしが望む形でわたし自身を認めてほしかった。必要とされたかった。だからこそ、そうしてくれない「東北」がだいきらいだった。最終的に、東北にしか自分の居場所はないような気もしていたからこそ余計に。

*

でも今になってやっとわかった。

「東北出身」であることはわたしの一部で、それ以上でもそれ以下でもない。わたしという人間をいろんな側面から見た時、「東北出身」の部分が色濃く見えることもあれば、全く見えないこともあるだろう。

江國香織さんの作品をよく読むわたし。

日本酒ばかり飲むわたし。

文化人類学にハマっているわたし。

会社で働いているわたし。家でだらけているわたし。いろんなわたしがいる。

「東北出身」であることが、わたし自身の中でどれだけ大きな意味合いをもとうと、その部分を見ていない人や気にしていない人にとっては、その事実はないに等しいのだ。だからわたしも必要以上に苦しむのはやめよう。

こんな風に東北との向き合い方に折り合いがつき始めたのは、実は今年、2022年に入ってからのこと。震災から11年、生まれてから30年少し経ってやっと折り合いがつくなんて、我ながら時間がかかったものだ。

「あなたがあの会社に内定をもらえたのは、あなたが被災地出身だからよ。でなきゃあなたがあそこに内定をもらえるわけがない」

この数ヶ月、昔から親しくしている人たちに「実は昔、こんなこと言われたんだよね」と話すと、即座に同じ反応が返ってきた。

「そんなわけないじゃん!何言ってんの!?」

そこでやっと安心した自分が少し情けない。

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