2011年のわたしと2022年のわたし
あの日とあれからのことを語るには一晩では足りないくらいだ。それはきっと誰にとってもそうだろう。「被災地」にいた人にとっても、そうでない人にとっても。
2022年3月の地震でわかったことが1つある。2011年、わたしは仙台にいた。それはある意味で災禍の「渦中」にいたということだ。そして2022年、わたしは東京という、災禍の比較的周辺にいた。
でも「周辺」にいるからといって辛くないわけではない。津波は来ていないだろうか。大事な人たちは無事だろうか。泣いていないだろうか。今、安否確認の連絡をしたら迷惑だろうか。いろんな思いがあった。
わたしは2011年と同じくらい、2022年も怖くて悲しかった。
大きな揺れを東京でも感じた翌日、街ゆく人たちの足元を見ると、みな一様にスニーカーやパンプス、歩きやすい靴で歩いていた。どんなにおしゃれな人でも足元はちぐはぐで、それがやたら目についた。
ああ、そうか。余震があっても歩きやすいようにだ。2011年、首都圏は特に帰宅難民の問題が大きかったと聞いていた。当時はピンとこなかったけれど、東京で暮らして10年近く経って、帰宅難民がどれだけ切実な問題か今ならわかる。