鼻歌(ふつうエッセイ #435)

鼻で歌うとはよくいったもので、ふんふん〜とハミングしているとき、確かに鼻のてっぺんから音が出ているような感覚がある。

そういった感覚が「心地良い」と思ったのはつい最近のことだ。中学生のときは、鼻歌なんかでは満足できず、すべての路上はカラオケボックスがごとく大声で熱唱しながら家路についていた。(13〜15歳は難しい年齢だったし、日々の鬱屈を心の中に抑えることができなかったのだ)

鼻歌を口ずさむには、自分の感覚器官を相応に抑制しなくてはならない。口を閉じ、発声しようとする力を鼻のてっぺんまで通していく。それができないと、ただただ、小さい声で歌っているだけになる。

たぶん、鼻歌が得意な人は、歌うことも得意なはずだ。

鼻歌が心地良いと思うには、表現の幅が限られている中で、ちゃんと歌として成立するようなメロディーを発さなければならない。逆にいうと、歌として成立していない鼻歌は、どうも心地が悪い。

鼻歌の良いところは、周囲に人がいるかどうかで、歌声を調節できるところだ。もちろん限度はあるが、例えば家族に聞こえないように小さな声で口ずさむには練習が必要になる。だが、それができれば、いつでもどこでも、誰にも迷惑かけないカラオケボックスが誕生する。鍛錬を経ての鼻歌とは、なかなか得難い価値があるというものだ。

と言いながらも、口ずさみたい鼻歌に巡り合えているかといったら、必ずしもそうではない。

歌番組も見ないし、積極的にサブスクサービスでザッピングすることもなくなった。そもそも「この歌いいな!」と思っても、鼻歌に適しているとは限らない。

最近は、もっぱら「すずめ feat. 十明」を歌っている。スローテンポで、ちょうど良い。イントロだけで、小一時間は時間を潰せる。ありがたい限りだ。