イギリス人は傘をささない(ふつうエッセイ #184)

東京は小雨模様。

春めいてきた日々が続いていたのに、うっかりすると風邪をひいてしまいそうな天気。雨も降っていて、マンションの玄関を出た瞬間、「うわー!」と声が出てしまった。

息子に「今日は肩車で行こう」と宣言していた手前、引き返すことができなくて、そのまま保育園に向かうことにした。誰かに何かを言われたら「イギリス人は傘をささないんで」と言い訳することにすれば良い。

幸い服がわずかに染みる程度の雨だったこともあり、結果的に傘いらずの外出でOKだった。

*

イギリス人は傘をささない。

諸説あるけれど、気候の問題は外せないだろう。

僕はこれまで3回ロンドンを訪ねたが、一度として晴れた日はなかった。特に真冬のロンドンは酷い。とにかく寒いこともあるし、雨も降っているから余計に寒いのだ。街歩きを楽しんだ記憶はない。

ロンドンは、東京の2.5倍も雨が降るらしい。

雨の日が2.5倍というより、霧雨が多いから、とにかく1年中雨が降っているのだという。

だいたい毎日雨が降るのであれば、傘なんて持ちたくはない。ロンドンっ子はフード付きのパーカーをよく着ていたけれど、それは一時的な雨に対処するという役割を果たしている。外套も同様で、雨が降ったら襟をぐいっと上げて、足早に目的地へ急げば良い。実に合理的だ。

*

日本で同様のことをしたら「傘貸してあげようか?」という話になるだろう。

日本では、傘をさすことに面倒を感じない人が多い。

僕がかつて市ヶ谷で働いていたときのことだ。たまたま雨上がりのタイミングだったのだが、JRの改札を出て信号を渡るときに、ほぼ全ての人が傘をさしていた。雨が降っているわけではない。前の人が傘をさしていたのにつられて、同じ行動を取ったのだ。

この人たちは、本当は、傘をさしたいのではないだろうか?不便を積極的に引き受け、個人であることを隠そうとしているのではないだろうか?

そんなことを感じた。10年前のことだ。

今はたぶん、同じ光景に立ち会ったとて「そういうもんだよね」というくらいにしか思わないだろう。なんなら自分も、前の人たちにつられて傘をさしてしまうかもしれない。

いや、それは避けたい。集団には抗ったままでいたい。

傘はささない。両手は自由でいたい。本当ならば、スマートフォンだって投げ捨てて、街に出たいと思っている。

僕の理想は、雨上がりの空のように晴れ渡っている。