ふれあい(ふつうエッセイ #145)

昨日、下校中の小学生の集団と鉢合わせた。

仕事で行き詰まっていたため、コワーキングスペースの周りを散歩していたときだった。ぶわああっと溢れるように出てきた少年少女たち。ほとんどの子どもがキッズケータイ的なものを所持していて、なんだか時代を感じてしまった。

そんな中で、二人組の少年が目に留まった。

ひとりが涙を流している。喧嘩でもしたのだろうか、それとも意地悪されたのだろうか。

彼を、もうひとりの少年が慰めていた。頭を撫で、近い距離でなにやら語りかけている。

素敵だな、と思った。

コロナ禍で、ふれあいは減ってしまった。

ソーシャルディスタンスという言葉が流行し、人間同士は適度な間隔をあけることが推奨される。写真撮影のときだけ、マスクを外して密集する。この茶番は何なのだろう?と、ときどき首を傾げてしまう。

そんな中、少年たちの姿は、見事にふれあっていたなと感じた。

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先日、介護事業に関わる人たちと話をした。そのうちのひとりは、毎日、利用者の方々とハグをしているのだという。

ハグ!

これだけ聞くと「コロナ禍でけしからん!」となるのだけど、前後の文脈を聞いていると納得する。孤独な高齢者もいる中で、ふれあうことで、「あなたは孤独じゃないよ」というメッセージになるのだ。

ふれあいが減ってしまった。僕らが思うより、失っていることは多い気がする。

だけど、今からでも遅くない。ふれあいを取り戻してみよう。それがリアルでなく、バーチャルだったとしても、気持ちはきっと通じるはずだ。