負の連鎖を止めるには(ふつうエッセイ #215)

朝、コワーキングスペースに向かう道すがら、自動車にクラクションを鳴らされた。

かなり運転に注意していたつもりだったが、いつもの交差点を曲がるときに少し軽率だったかもしれない。だいぶ余裕があったような気もするが、運転手からしたら接触の危険を感じたのだろう。

「あれ?そんなに危なかったですか?」という感じで車の方を向くと、運転手が何やら身振りで訴えている。その姿は、かなり嫌な予感を抱かせる。

ついてないことに、その先の交差点で、自動車は赤信号のため停車した。

迂回することも考えたが、僕も目的地に行く必要があったので、そのまま自動車の横を通過する。その瞬間、運転手が僕に怒気を帯びた言葉を発した。内容は聞き取れなかったが、相当に不快な気持ちになった。

僕にも落ち度があるにせよ、そんなやり方はないだろう。車専用の道路ではなく、歩行者も自転車も通るような脇道である。

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幸運なことに、不快な気持ちはすぐに晴れた。

装着していたネックバンドから流れてきたラジオから、パーソナリティの心温まるエピソードが披露されたからだ。それは、自転車に乗りながらも思わず笑顔になってしまうようなもの。「よし、仕事を頑張ろう」と思えるほど気分は明るくなった。

でも、と思う。

もし僕が不快な気持ちのままだったら、どうなっていただろうか。

怒りを発散するべく、別の対象に向けて刃を振るうことがあったのではないか。もちろん直接的な暴力は行使しないものの、ちょっとした言動に対して舌打ちしたり、やれやれという表情を投げたりしていたかもしれない。抑えきれない衝動として。

とても小さなことだけど、これこそ、まさに負の連鎖だ。

そんなことをしても、誰も得しない。だけど負を撒き散らすことによって、撒き散らされた誰かは、他の誰かに刃を向ける。

そうすることで一時的に感情は晴れるかもしれないが、「よし、仕事を頑張ろう」というポジティブな気持ちにはなれない。負の連鎖は、対処療法的な効果しか生まないのだ。

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「負の連鎖を止めるには」なんてタイトルに書いたけれど、有効な方法なんて浮かびやしない。

僕はたまたまラジオを聴いていて、たまたま心温まるエピソードに触れることができたから、負のバトンを僕のところで止めることができた。

だけど、負のバトンが回ってきたら、受け止めてそのまま自分の中に止めておくようにしたいと思う。(もちろんネガティブな情報には色々あるので、ケースバイケースであることが前提だ)

社会に対して問いを投げる前に、自分だったらどうするか。

今朝の出来事は、そんな原点を見つめ直す良い契機だったかもしれない。