僕は三十七歳で、ドリンクバーから出てきたぬるいコーヒーに眉を顰めていた。
二日前のエッセイで、村上春樹さんの『ノルウェイの森』の書き出しを引用した。
似たような文章で書き出したのには理由がある。
年の瀬、ふらりと入ったファミリーレストラン。
Macを取り出して、ドリンクバーを注文。いつも通りコーヒーを注ぎ自席に戻る。すすった瞬間、前述の通り、眉を顰めたのだ。
ぬるい!
え?どうして?ドリンクバーだから?
いやいや、それはドリンクバーに失礼だろう。世の中のドリンクバーは、いささか炭酸は抜けつつも、いつだってお客さんの喉を潤してくれる。何杯おかわりしたって、ホットコーヒーはいつだって温かい。おそらくは機器が不調だったか、温度が十分でないままコーヒーがセットされたかのどちらかだろう。
想定していた温度と違うことで面食らったが、僕はドリンクバーに過度な期待を寄せていたのだろうか。
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想定と期待と書いた。
おそらく期待というのは、それなりのクオリティを見越しての表現だと思う。ドリンクバーのコーヒーが温かいというのは期待ではなく、想定というか、「そりゃ温かいでしょう」という感覚だ。期待とは違う。
やや申し訳ないけれど、僕はドリンクバーの味には期待していない。ファミリーレストランで落ち着いて作業ができることが、僕にとっての期待だ。
必要最低限の機能を満たすことが想定。相手の「これぐらいはやってくれるだろう」という成果を果たすことが期待。
そう捉えると、あらゆることに合点がいく。
例えば、今年購入した洗濯乾燥機について。
「ちゃんと汚れを落としてね」という想定はきちんと達成し、「洗濯にかかる僕ら夫婦の時間が短縮できると嬉しいな」という期待を上回ってくれた。
僕の仕事はどうだろうか。
会社を創業して以来、ありがたいことに何社かが声を掛けてくれた。「堀ならこれぐらいはやってくれるだろう」という成果をはるかに超えられるよう動いたつもりだ。求められていることはもちろん、直接は求められていないことにもタッチしながら、相手の期待を上回るように常い心掛けている……。
だが、もしかしたらこれは、いささか甘めの自己評価に過ぎないのかもしれない。想定という概念を持ち込むと、自分の仕事を冷静に客観視できる。
うーん、期待を超えられる働きができただろうか。
僕に仕事を任せてくれたことで、相手の会社の売上が伸びたり、費用が削減できたりしただろうか。うーん、ちょっと心許ない気がする。あくまで期待とは、具体的な成果に紐づくものだからだ。
甘めの自己評価を続けていくと、自分の目を曇らせてしまう。
そんな状況に陥らぬよう常に自戒しながら、相手の期待を上回っていくことを念頭に置きたい。
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2021年、ありがとうございました。
生まれたばかりのWebサイト「ふつうごと」に協力いただいた書き手の皆さん、取材に応じてくださった皆さん、陰ながら支えてくださった読み手の皆さん、心から感謝しています。
来年も、たくさんの「ふつう」をお届けできたらと思います。年末年始、寒い日が続きますがどうぞご自愛ください。
また来年、お会いしましょう!