人生を高円寺でやり直す──コロナ禍で手放した「自分」という価値(高円寺で暮らす優莉さん・その2)

私にとってイタリアとは何か?

特定非営利活動法人シブヤ大学では3年間働いた。そして優莉さんは、大学在学中に夢見ていたイタリア行きを目指す。NPOを辞めてイタリア滞在の準備をしていた矢先、世界は歴史的なパンデミックに襲われてしまう。優莉さんはイタリア行きを断念せざるを得なかった。

「行こうとしていたエリアでは、コロナ禍でたくさんの方が亡くなったという報道がありました。イタリアへ行くという目標自体が夢だったのかなと思いました」

優莉さんが行く予定だったイタリアの拠点

*

当時のことを振り返りながらも、優莉さんは冷静だった。

「これまで私はずっと優等生マインドがあったんだと思います。色々なことを逆算して計画してきました。いつまでに結婚して、イタリアに行って……。それがコロナ禍で、全てなくなってしまった感じがします」

当たり前のように明日がくることが、誰のせいでもなく、突然人と会えない世の中になった。

そのときの感情を優莉さんに聞いてみると「手放す」という言葉が却ってきた。

「良い意味でマインドチェンジがありました。手放さないと何も手に入らないなと分かったんです。イタリアに行くって言ってる限り仕事も見つからないし、信頼して仕事を任せてもらえない。イタリアにこだわり続ければ、家族との具体的な暮らしを考えることができない。こういう状況を整理する中で「私にとってイタリアとは何か?」と見つめ直すことができました」

優莉さんにとってイタリアとは「逃避」だったという。

「すごく正直に言うと、日本から離れたかったんです。一人になって自分の人生を見つめ直したかった。大学院に行かなかった選択や、会社をすぐに辞めてしまったこと、自分に色々起きていた20代のことを棚卸しする、清算する意味合いがあったんじゃないかと思うんです」

1 2 3 4 5