人生を高円寺でやり直す──コロナ禍で手放した「自分」という価値(高円寺で暮らす優莉さん・その2)

コロナ禍で人生や価値観が大きく変わった──

高円寺で暮らす青木優莉さんもそのひとりだ。勤めていた組織を辞め、学生時代から目標にしてきたイタリア滞在の準備をしていた最中。歴史的なパンデミックのためにイタリア行きを断念、様々なことを手放さざるを得なかった。誰がどう見ても同情すべき状況の中、ひたすら明るさを保ちながら前を向く優莉さん。手放したものの引き換えに、得ることができた覚悟とは?

その1では幼少期から積み重ねた優莉さんの成功体験と、就職前の不安や葛藤について書いた。

その2では、社会人になってからの優莉さんの試行錯誤を紹介。逆境で磨かれた価値観は、優莉さんを高円寺へ誘っていく。

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熱中できないという違和感

「迷いを持ちながら入社したので、案の定、仕事は大変でした。同期はみんな良いメンバーばかり。とても優秀だったし、コミュニケーション能力も高い。すごく尻込みした状態から始めたのが新卒1年目でした」

営業部に配属されるも、自らの違和感を拭うことができず、心身ともに疲弊してしまう。

「特に制作に関わるクリエイティブ部門の人たちは、みんな命を削って仕事していました。仕事に熱中していたんです。ああ、私は彼らみたいに命削れないなって、気付いてしまって。プロとしてやり合えない感じがして、申し訳ないと思ったんです」

プロとして、自分の全ての時間、全ての知性をかけて仕事に向き合う。高いレベルでぶつかり合うことで、高い質のアウトプットが生まれることを優莉さんはよく知っていた。

寝食を忘れるように熱中する人たちに加われない疎外感。優莉さんは転職を決断する。

「NPOである、特定非営利活動法人シブヤ大学に転職することになりました。お金は大丈夫なのか?と心配してくださった方もいました。一方で、クリエイティブ部門の人たちには「青木はそこで熱中できるんだね」と背中を押してもらえました。ここでは向き合えなかったけれど、違う山で頑張って、いつか彼らとプロとして対等に向き合えるようになりたいと思ったんです」

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