試食(ふつうエッセイ #246)

コロナ禍に入り、なくなったもののひとつがスーパーの試食だ。

実食販売も含めて、「これって効果あるのかな?」と思っていたのだけど、おそらく多少の効果を見込めたから全国津々浦々で開催されていたのだろう。(確かに箱根のかまぼこ屋の試食はありがたかった……というか、箱根の試食はコロナ禍でも健在だったような気がする)

多少の効果が見込めたにも関わらず、コロナ禍で試食という手法をとることができなくなった。つまり「売り方」を変えざるを得ないということだ。

もちろん大なり小なり、影響が出ているメーカーもいるはず。

だけど結局のところ、そういった状況に追い込まれることで、別の施策に工夫を凝らすという現象がそこかしこで起こっているようだ。アナログな企業はDXに本腰を入れるようになったし、懐疑的だったテレワークも機能し始めているし、中小企業もEC導入を真剣に取り組むようになっている。

『種の起源』でダーウィンが提唱したのは、弱肉強食ではない。もし強者のみが生き残れるのであれば、虎は絶滅危惧種にはなっていない。ダーウィンは、環境変化に対応し続けている生物、つまり変化に適応したものこそが生き残れると言っている。

それは、普遍性をもって現代の私たちにも訴えるものがある。

「試食」という売り方ができなくても、変化に対応しさえすれば、打開策は開けてくる。食の楽しみは、古今東西変わらないのだから。