犬も歩けば棒に当たる(ふつうエッセイ #109)

10年ほど前だったか、松本人志さんがMCを務めるバラエティ番組「人志松本のすべらない話」で、お笑い芸人・バカリズムさんがエピソードトークを披露した。

お笑い芸人として売れ始め、テレビに出演することが増えてきたバカリズムさん。次第に、自身のネタだけでなく、トーク(話術)を求められることも多くなる。何か披露できる話題がないかと、渋谷の街を一日中歩き回ったという。

「結局何も見つからず、靴擦れしただけでした」という、最後のオチ。

思わず、クスッと笑ってしまった。

すべらない話でも、どこかズッコケるような感じの笑いだったと記憶している。「そんな話かい〜!」みたいな。

「何も見つからなかった」では話を作れない。

でも、よくよく身体を観察してみると、靴擦れによる「痛み」があった。それをオチに使ってしまおうというバカリズムさんの視点に、今更ながら舌を巻く。

ネタ探しは「痛み」を伴うものという真理にも紐づいている。

実際、面白いネタなんて、簡単に落ちているわけではない。

SNSでは、誰かが過去に披露した話題の再生産ばかりが行なわれている。人間はすぐに忘れてしまうし、当時その話題に触れていなかった人にとっては新鮮だが、それにしてもだいたいの話題は安っぽい既視感に纏われている。

で、その要因は何かと考えたら、たぶん「痛み」を伴っていないからではないか。概念的な痛みでなく、フィジカルな痛みを。

努力していない、と言い換えることもできる。

必死で何かを探していたか。誰かがやりたがらないプロセスを踏もうとしていたか。

犬も歩けば棒に当たるのだ。

僕らだって、歩けば何かを見つけることができる。

問われているのは、ちゃんと自分で、歩いてきたか?ってことだと思う。

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ちなみに「犬も歩けば棒に当たる」って、もともとはうろちょろしていると何か災難に遭うという意味だったそうです。

出歩けば機会や幸運に巡り会うという意味になったのは、後世の話らしいですよ。