哲学者への道のり(ふつうエッセイ #713)

週明けに備えて、我が家では日曜日に爪を切ることが多い。

「爪切るよ〜」

と長男に呼び掛けたところ、「(切るかどうか)考える」と回答があった。おもちゃ遊びに興じている。仕方ないと思い、他の家事をしていたが、30分経っても考えは止まぬままだ。そしてとうとう、僕の堪忍袋の緒が切れた。

ご飯は食べるものである。

「今日はご飯食べなくて良いかな」と考える必要はない。食べないと死ぬからだ。同じように、爪も定期的に切らなければならない。切らなくて良いかななんて思う必要はないのだ。

考える余地、考える事柄をなるべく少なくしておくことが、効率的に生きるコツだ。しかしそれでは、哲学という領域が生き永らえることはできない。どうでも良い(と思える)ものを、ただひたすら考えるのが哲学である。

そう考えると、僕が長男に雷を落としたのは、哲学的思考を阻害したに等しい行為といえるかもしれない。頭のどこかで、考えに考え、今までない角度から何かを生み出そうとしていたかもしれないのだ。

どうでも良いことを、どうでも良くないと考え研究を深めていくこと。

未就学児ながら、長男がしているのは、哲学者ないし科学者の営みなのである。