優しさを、憶えている(ふつうエッセイ #443)

高校生のとき、僕は出来の悪い生徒だった。

頭が良いとか悪いとか、器量が良いとか、スポーツができるとか、そういったことではない。シンプルに、品行方正でなかった、ということだ。

ハードな部活で毎日疲弊し、日々の勉強が疎かになっていたあの頃。たまりかねず授業中に居眠りしてしまったこともある。テスト期間に入ると、全く習熟していない状況に「何やってんだろう」と何度思ったことか分からない。

なまじ進学校に在籍し、順位は下から数えた方が早かった。すっかり勉強に対して自信をなくしていたのだ。

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いまでも忘れないことがある。英語の授業のときのこと。

その先生は、どんどん指名して回答させていく授業のスタイルで、僕はいつも、どの問題で指名されるかビクビクしていた。予習もろくにしていなかったら、当然ながら授業の理解もおぼつかない。なるべく簡単な問題で指名されてほしいと願ったものだった。(自信はなくしていたけれど、さらにその自信を挫かれるのは嫌だったのだ)

その日、僕が指名を受けた問題が何だったのか正確には憶えていないのだけど、とにかく僕は「told(話すの過去形、過去分詞系)」の原形である「tell」を答えることができなかった。

「tell」なんて、中学1年のときに習う英単語だ。なのに「tell」を答えることができなかった。取り繕うことができず、顔を真っ赤にして言い淀んでいた僕に、その先生はこう言った。

「こういうのを何ていうか分かりますか?ど忘れですね」

ど忘れ。

先生は、僕の出来の悪さを指摘したのではない。「ど忘れ」することって、人間は誰しもあるよね。という文脈のもとで、笑ってスルーしてくれたのだ。「堀は何とか頑張っているよ」というメッセージのように思えた。

あのとき、先生は「tellを知らないなんて、中学からやり直した方が良いですね」と言うこともできた。さすがにそこまで辛辣ではなかったけれど、そこそこ厳しいツッコミをする先生ではあったのだ。

その優しさは、僕に僅かに残っている自信や自尊心を維持してくれた。その優しさを、僕はまだ憶えている。

優しくありたい。その原体験は、時折、僕の脳裏に浮かんでくる。