「知り合い」なのに「知らない」(ふつうエッセイ #47)

「知り合い」という言葉は、なかなか繊細だ。

「お互いを知っている」という意味だけど、友達や家族、同僚、仲間といった関係に比べると、多少のよそよそしさがある。

名前も知ってる、顔も知ってる、どんな人かも何となく分かっている。だけど知らないことも結構ある。知り合いなのに知らない。矛盾を孕んだ言葉だ。

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アメリカの社会学者、マーク・グラノヴェッターさんは「弱い紐帯の強み」という理論を提唱した。

友達や家族などの「強い繋がり」に比べると頼りなく思えるが、例えば情報がなくて困っているとき、「弱い繋がり」で連帯している人たちから新規性の高い情報をもらえるというものだ。

強い繋がりの中は同質性が高く、情報の幅や深さが似通っている。一方で弱い繋がりには多様性があって、様々な情報やアイデアを得られる機会になるのだ。

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「知り合い」なのに「知らない」は、なんだか後ろ向きな感じがする。

「知らない」けれど「知り合い」は、なんだか前向きな感じがする。

誰かの頭の中に、ぼんやりと残像として残り、ふとしたときに声を掛けてもらえるような存在になりたい。

そうやって、ゆるく連帯できる「知り合い」がたくさんいる人生は、とても温かいものだと思うのです。