憎しの裏返し(ふつうエッセイ #679)

愛も憎しみも、裏返せば、似たような景色が広がっている。

かつて中日ドラゴンズを贔屓にしていたとき、ドラゴンズの勝利よりも読売巨人ジャイアンツの敗北を「よし」と感じていたときがあった。

ときがあった、と書いたが、実のところ、そのマイノリティは野球から離れた今も続いている。ジャイアンツには負けていてほしい、そんな思いを抱き続けている。

それは強者への、絶対的な嫉妬心がある。江藤、清原、松井、ペタジーニなど、4番打者を見境なく集めた時期に「むかつくな」という感覚はピークに達していた。ドラフトやFA戦線でも、実績のある選手がジャイアンツを志望する。なんだよ、まったく、勘弁してくれよ。

そして実際強いのだ。ドラゴンズが負けても、ジャイアンツが負ければゲーム差は変わらない。だからドラゴンズがどんな惨敗を喫しても、ジャイアンツが3-4といった惜敗を喫すると、プラマイゼロ、いや、案外プラスの感情さえ芽生えてくる。「金やブランドに任せて補強している」という戦略が裏目に出れば、ざまあみろと思ったりする。(嫌なやつですね、わたし)

でも、ひとたびジャイアンツを離れた選手は好きになる。松井、上原、清原、落合、ラミレス、二岡、内海、長野、田口、澤村。まあ、またジャイアンツに出戻る選手もいるが、ジャイアンツの空気に馴染めずジャイアンツを離れ、活躍すると嬉しくなる。応援したくなる。がんばれー!と我が事のように感じるのだ。

ジャイアンツ憎しの気持ちはずっと続いているのだが、それもこれも、ジャイアンツが強者であり続けるゆえなのだ。

そういう意味で、僕はジャイアンツに感謝している。ジャイアンツがなければ、僕の「なにくそ!」という思いも抱けずにいるのだから。