命短き、ちっぽけな虫です(ふつうエッセイ #387)

昨日に続いて、スピッツ「夢追い虫」の歌詞を引用する。

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「夢追い虫」では終盤になって、「命短き、ちっぽけな虫」という歌詞が、ひときわ大きく歌われてる。もともと清涼な楽曲ではないけれど、終盤にきて、また一段とダークサイドに落ちるような表現といえる。

これまでも何度も草野正宗さんが書く歌詞に心打たれてきたが、こんなふうに自他を貶めると思しき言葉が使われているのには、逆の意味で心をわし掴みされてしまった。

そして「夢追い虫」のラストには、「削れて減りながら進む」とある。つまり、人生とは生きるたびにどんどん「ちっぽけ」になっていくということ。そりゃあ何も動けない木偶の坊よりはマシだけれど、前進のたびに身が削られるなんて……。あまりに苦しいじゃないか。夢見たあの場所に立つ日には、綺麗さっぱりなくなってしまうかもしれない。

だとしたら、あまりに酷い。

「でも、それが人生かもしれない」と開き直るほどには、僕はまだ達観していない。夢見たあの場所に立つ日には、何かカケラでも残っていてほしい。絶え絶えでも呼吸を維持していたい。願わくば、頑張ってくれた仲間と祝福したい。

お金も名誉もいらない。そこに、生きている証明と仲間がいてくれさえすれば。