実家の鳩時計(ふつうエッセイ #348)

実家にある鳩時計がずっと好きだった。

そう自覚したのは最近のこと。幼少期はあまりに日常に馴染んでいて、彼(と擬人化します)の存在を意識していなかった。

彼は、長針が「12」と「6」のときに鳴く。長針が「12」のときは、時刻に合わせて、つまり9時のときは9回鳴く。長針が「6」のときは1回鳴く。「カッコー!」の音はなかなか明快で、静寂な夜半に12回鳴かれると少し動揺してしまった記憶がある。

子どものときは、彼をいじわるな目で見たこともあった。

8時のときに「今日は7回しか鳴かないのではないか」と疑った。1, 2, 3と数えたこともあったが、しかし彼はそんな過ちを犯さなかった。いつだって正確に時刻を知らせてくれる。彼が正確に時刻を知らせてくれたおかげで、僕たち家族はそれほど時間にルーズな質(たち)ではなかったように思う。

*

そんな彼にも、一度だけ危機が訪れた。

実家をリフォームしたタイミングのとき、捨てられそうになったのだ。僕は既に都内で一人暮らしを始めていたときだったので、後で聞いたことだ。

一度はゴミ捨て場に置かれらしい。しかし母が思い直して、取りに戻ったそうだ。その話を聞いて、僕は疑問を拭えなかったし、いまも拭えていない。リフォーム後のリビングは白を基調とした空間で、そこに彼はぴったりハマっていた。(むしろ彼のために白を基調とした空間にしたと思えるほどだ)

そして、いまは平穏な日々を送っている。

彼は、いまも実家のリビングにいて、昔と変わらず、正確に時刻を知らせてくれる。

ただ、1点だけ変わったことがある。鳴かなくなったのだ。

彼の側面をよく見ると「ON / OFF」のボタンがある。これがずっと「OFF」のままだ。僕の一存で「ON」に変えることも可能だけど、たしかに「カッコー!」の音は、両親ふたりだけの静かな空間には似つかない。

もう鳴かない彼だが、正確な時間はいつも刻まれている。

譲れない彼なりの矜持を、僕は少しくらい見習った方が良いのかもしれない。