アイデアと時間(ふつうエッセイ #263)

アイデアを着想しようとする時間。

僕にとってはとても大事な時間だけれど、その間、僕は何も生み出していない。

もちろんブレインストーミングのように、とにかく発散することでアイデアを湧き立たせていく手法もある。僕もブレストは好きだ。色々な「ネタ」を作れるし、手を動かすことで「アイデアを出している」と実感することができる。

一方で、あまりブレストを活用しない物事もある。

例えば、このエッセイ。

何を書こうかと迷う。のんびりしていたら、1時間くらい経過することもある。はたして1時間の空白は、何も生み出していないように思う。(さすがに「1時間」は貴重なので、実際は掃除機をかけたり、買い物に出掛けたりなど、些事にあたっていることが多い)

僕が住んでいる東京。家の周辺では、ここ数年、色々な場所で解体工事が行なわれている。古くなった家や建物は、あっけなく壊されていく。壊されていく過程で覗くことのできる建物の内部から、生活の跡をみることができる。

建てるのは一大決心だったろうが、壊すのは一瞬なんだ。(いやもちろん、壊すのも、それなりの手続きを踏むのだろうが)

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話が傍にそれた。

そうやって、「外」に思いを馳せると、普段は気にしなかったことが目につくような気がする。「見る」ことは大切なのだ。

「見る」ことも、何も生み出さない。それはアイデアを待っている時間と、傍目からは同じように映るだろう。

どちらも、何か生み出される前夜なのだ。何か生み出される日には、必ず「前夜」が存在する。その前夜を大切に温める姿勢、そして余裕は常に持っていたい。