便利と幸福度(ふつうエッセイ #505)

世の中は、どんどん便利になっていく。

こほとんど真理といっていいほど、自明のことだと思います。日進月歩という言葉がありますが、人間は絶え間なく利便性を高めようと努めています。会社における社員は「歯車」と喩えられることがありますが、同じように、社会における人間も「歯車」のようなものかもしれません。

急に、暗いメタファーを投げ込んでしまいましたが、どの時代も忙しなく人間が労働に務めなければならないのは、これまた真理といえるのではないでしょうか。技術が発展すれば、誰も働かなくて済むようになる。「ドラえもん のび太とブリキの迷宮」では、ロボットに労働を代替させた結果、人間がロボットに従わざるを得なくなった社会を描いています。ロボットにあらゆることを依存した結果、体力も落ち、自力で歩くのもやっと……人間の姿は実に滑稽に映りました。

映画が公開されたのは、1993年3月6日で、ちょうど30年前のことです。

いまは、すべてのことをロボットに依存しているとは言い難い状況ですが、知力という意味では検索エンジンやChatGPTに依存しつつあります。映画の世界と重ならないよう、留意する必要があるといえるでしょう。

話が逸れましたが、世の中が便利になっていく一方で、幸福度も上がっているかといえば、そんなことはないでしょう。相変わらず僕たちは、日々の生活に追われています。所得は世帯によって違いますが、「お金に困ってないよ!」と堂々といえる人は少数派です。どちらかといえば「もうちょっとお金があればなあ……」という人の方が多いように思います。

お金=幸福度ではないものの、なぜ、世の中が便利になったのに幸福になれないか。それは方々で問題提起されていることではありますが、いま一度、自分の頭で考えてみる必要がありそうです。

もうちょっと視点を上げてみると、地球における気候変動の問題は深刻です。各国が急ぎ対策を講じていますが、少しでも対策が後手に回れば、多くの人の生命すら脅かすことになりそうです。(幸福度が上がらないばかりか、一気に地獄に突き落とされるようになるでしょう)

気候変動だけでなく、分断、安全保障、食糧危機、エネルギー問題など、様々な面から問題は山積しています。かつてもそうだったかもしれません。その都度、人間は乗り越えてきたんだと楽観視することもできるでしょう。

ただ、ある程度の悲観的なシナリオは想定しておかなければならないように思います。便利さだけを追求していては、何かを見落とすかもしれない。そのことを肝に銘じて、日々を過ごしていく。ちょっと面倒ですが、それが、いまのところは最善のように思うのです。