言葉と向き合う仕事をしているけれど、ときどき、言葉なんて必要ないんじゃないかと思うこともある。
ケースバイケースだし、丁寧な言葉を紡ぐことの意義は微塵も揺るがない。
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だけど例えば今夜雪が降ったとして、象徴的な東京の風景とともに「雪。」と言葉を添えるだけで、余韻はしみじみと伝わるものだ。
老年の夫婦は、余計な言葉を交わさない。ただそばにいるだけで、お互いが安心している。
僕が10代の頃、恋人のいた友人は「毎日電話しないと彼女が怒るんだよ」なんてことを言っていた。困っていた顔をしていた友人に嫉妬さえ抱いたけれど、彼らは不安でいっぱいだったんだろうなと今なら分かる。仲が悪いわけではなかったのに、どれだけ愛しても愛し足りないと感じていたのではないだろうか。
愛という感情に収拾がつかなくなって、そのことが、えも言われぬ不安を感じさせていたんじゃないかと思う。
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苦しいときは喋りすぎてしまう。
自分で納得していないときは、文字数が多めの文章になる。
不思議なことではない。必要最低限の持ち物にするのは、とても勇気が要ることだ。
何を捨てたら良いのか分からない。だけど何かを捨てなければ前には進めない。
たったひとつの言葉だけで。
前に進める勇気を、手にしたい。