あのとき、不景気だったのか。(ふつうエッセイ #699)

速水健朗さんの『1973年に生まれて:団塊ジュニア世代の半世紀』を読んでいる。

第1章で1980年が語られ、第2章では1990年が語られる。

1990年はいわゆるバブルが弾けた時期であり、日本は不景気に突入したといわれている。(そこから失われた10年、失われた20年と続いていくわけだが)

事実として1998年の山一證券の経営破綻のことは知っている。僕の地元の栃木でも、2003年に足利銀行が経営破綻したから、それなりに大きな出来事として記憶には残っている。(しかも僕の父は金融業界で働いていた)

それでも僕が、おそらく幸運といっていいだろう、当時不景気だと感じなかったのは、父と母が堅実に働いてくれたおかげであろう。高校、大学と何ら不自由せずに進学させてくれた両親には感謝の気持ちでいっぱいだ。

だが同時に、不景気の波の中にいると、不景気そのものを実感できないということもあるように思う。もちろんそれがダイナミックに生活に直面するような事態があれば別だが、例えば高校生のときの僕は、「マクドナルドが60円で食べられる。ラッキー」なんて感じで思っていた節さえある。それは給料が上がらない社会で、消費者の消費を少しでも促すための苦肉の策であることに気付くのは、もっと大人になってからだった。

今、日経株価は3万円台を突破し、金融資産を持っている人間は「不景気」だなんて一切感じていないだろう。物価高の影響を感じているのは、おそらく「物」を扱っている中小企業の経営者や経理担当だ。それ以外の人間は、予算も持たず、何となく日々を送っている。それは別に悪いことではない。電車に乗っても、別に悲壮感を携えている人は少ないわけで、それはそれで良しという考えもあるだろう。

でも、この2023年も、10年後くらいに振り返ると、「あのとき、不景気だったのか」と思うのかもしれない。喉元過ぎれば熱さを忘れるではないけれど、せめて10年後は、好景気の波の中でサーフしていたいものである。