ゴトーさん。(ふつうエッセイ #510)

510=ごとう。

そんなダジャレはさておき、兼ねてから関心のあった「カタカナで名前を書くこと」問題について考えてみたい。その意図や意味は、意外に奥深いように思うからだ。

日本を代表する企業も、トヨタ、ホンダ、スズキ、マツモトキヨシ、カシオなど、枚挙にいとまがない。(もちろん松下電器(現社名はパナソニック)、塩野義製薬、公文教育研究会など、そのまま漢字表記している企業もある。「それぞれの会社のポリシーでしょう?」と言われればそこで話は終わってしまうのだが……)

ちなみに後藤 / ゴトーを取り上げたが、日本には、「株式会社後藤」も「株式会社ゴトー」も、それぞれ存在している。ちなみに有限会社だが、有限会社ゴドーというのもある。

株式会社後藤といえば、なんとなく「後藤さん」が関わっていると思うのではないだろうか。一方で、株式会社ゴトーといえば、「後藤さん」の色はちょっと薄れるように思う。五島列島に関連するかもしれないし、「5等」という言葉にかけているのかもしれない。英語で書くとゴトーは、Gotoになって、「どこかに行くぞ!」という決意も込めることが可能だ。

たぶん、そういったニュアンスは、漢字のままだと想起しづらい。色々なニュアンスや意図は、カタカナにすることで「実は、こういう意味があってね……」というストーリーになりやすい。

カタカナではないが、僕の創業した株式会社TOITOITOも、「問いと糸」「問いと意図」「複数の問いと」などの意味も込めている。後付けで、もっと素敵な解釈ができるかもしれない。そういう「ふくみ」を持たせようと会社の名前を命名したのだ。

今日は、某所で「トキタ」と書いてある看板を見つけた。「時田さん」が運営している場所なのだろうか。それとも、「Time」を示そうとしているのだろうか。

でもなんか、潔いのは、株式会社絆とか、どこからどうみても意味や意図が明らかな名前だよなあと思ったりする。ちょっとダサいなあと思っていても、続けていたら、それが存在意義になっていく。

ちなみに話は変わるけれど、フィクションでは、登場人物がカタカナの名前で表記されることが結構ある。これは、読み手に余計な意味を持たせないようにするためだと聞いたこともある。

名前は体を表す、ならぬ、名前は他意を表す。ということだろうか。