「4回にわたり、愛について自由にエッセイを書いてください」
このエッセイは、そういう依頼で書いているものだ。しかし、受けたはいいものの、たかだか31年しか生きていない自分が愛について語れることなどほとんどない。そこで、これから四回の連載では、本棚の中からいくつかの書籍を選び、それらを通して愛とは何かについて考えていきたい。
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愛というテーマで真っ先に思いついたのが、エーリッヒ・フロムの著書『愛するということ』だった。フロムは、精神分析とマルクス主義の観点を組み合わせて、人間性や社会について新しい視点を提示したドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者だ。
愛は技術だろうか。
『愛するということ』は、そんな書き出しから始まる。フロムは、愛とは技術であり、訓練すれば誰でも身につけられるものだと主張する。
本書を読めば、愛する技術をすぐに身につけられるだろう。しかし読み進めると、いくつも難題を突きつけられ、そう簡単ではないと思い知らされる。
愛以前に、そもそも何かを身につけるということは、三つの姿勢を守る必要があるとフロムは説く。
一つ目は規律だ。「『気分が乗っている』ときだけやるのでは、楽しい趣味にはなるかもしれないが、そんなやり方では絶対にその技術を習得することはできない」とのっけから厳しい言葉が飛んでくる。
規律を身につける、というのは意外と簡単に思えるかもしれない。例えば、朝9時から夕方5時まで働くのは、規律に沿って働いていると感じられる。しかし、フロムはこの働く時間が終わると、人は途端に規律から逸脱し、怠け者になるという。なぜ、だらけてしまうのか。それは、働く目的が他者から与えられたものであり、規律に従っているように見えて、それはただ我慢しているだけだからである。
さらに、現代人はこれまで権威主義と闘ってきたので、そもそも規律に対して不信感を抱いているとフロムは付け加える。それは、内発的な規律だとしてもだ。それくらい、自分を律して日々生活することは難しい。