愛という言葉で思い出すのは、愛された記憶よりも失恋の記憶だ。
はじめての失恋と、いちばんの失恋。このふたつ。
はじめての失恋相手は、私に恋愛のほとんどを教えてくれた人だった。笑い合うこと、幸せなキスをすること、抱かれること、それらをよろこぶ気持ち、連絡が取れなくて不安になること、浮気されること、浮気を許すこと、愛されたいと思うこと、愛されていると信じようとすること、恋が終わること、終わらせようと努力すること。
私なりにたくさん傷ついた。当時は、これが愛なのだと思った。愛によって傷ついたのだと嘆いた。だけど、今思うとぜんぜん違う。だって私の中にあったのは「愛されたい」だけだったから。たんなる承認欲求だ。寂しがりやで暇人だった。やりたいことも夢もなく、落ちることも上がることもできない私にとって、恋愛は手軽でリスクのない快楽だった。
その後も彼氏はずっといた。はじめての失恋をデフォルトに、それなりに承認欲求が満たされるちょうどよい恋愛を繰り返した。長く無気力な自分と付き合っていたので、恋愛による浮き沈みがうれしかった。自分のなかにちゃんと自家発電する熱エネルギーがあるのだと思えた。愛されたいくせにどういうわけか大切にされるのは苦手で、やさしい人とはすぐに別れた。