読む体力、話す体力(ふつうエッセイ #546)

世の中には人の話を聞いたり、本を読んだりするのが得意な人がいる。率直な話、羨ましい素質だ。

一方で、とにかくアウトプットが得意な人もいる。明石家さんまさんや島田紳助さんは、そのタイプだろう。もちろんMCを務めているので「聞く」能力にも長けているけれど、「話す」ためのインプットだなあと感じる。

いずれにせよ、インプットとアウトプットには能力が必要で。僕はどっちつかず。「どちらもそこそこの及第点は取れる」という言い方もできるが、中途半端だなと感じることの方が多い。

ただ、能力以前に体力も必要だ。体力がなく能力が高い人もいるけれど、なかなか持続的に成果を上げられるとは言い難い。

日本を代表する作家・村上春樹さんは間違いなくフィクションを作り上げる能力に長けている。だが、それ以前に書き続ける体力が高い。彼自身が公言しているが、長く書き続けるために30代でタバコを辞め、ランナーとして走るようになったそうだ。

そういった意味で体力は絶対に欠かせないが、それは見た目の筋力というだけじゃない。集中力とか、好奇心とか、そういった部分も含めた広義の体力であることは付言すべきだろう。(つまり、なにがなんでも筋トレしとけば良いわけではない)

ひょろひょろとした人が、実はめちゃくちゃ体力も気力も充実しているということもあるし、その逆もある。こればかりは、人は見た目で判断できないものだ。

今、僕は20代や30代前半で培ってきたのと別の体力を必要としている。いつまでもヨチヨチ歩いているわけにはいかない。自立とは、体力が絶対に必要なんだと、今更ながら自覚しているところである。