テーマを決める(ふつうエッセイ #501)

タイトルとか、テーマとか、キーワードとか、コンセプトとか。

色々な言い方はあれど、多少しっかりめのプロジェクトでは「指針」となるテーマがあった方が絶対に良いと僕は思う。

500回以上続けてきた僕のエッセイも、「何かしら『ふつう』にひっかけたエッセイを書こう」という指針をもとに続けている。「ふつうごと」も含めて、のんびり運営しているように見えるけれど、意思は存在していて。それがなければ、いくら宣伝や報酬のようなメリットがあったとしても、いつ潰れるか分からないスペースへの取材協力や寄稿などに関与いただけないはずである。

でも、テーマを決めるのは難しい。本当に難しい。

例えば合宿などで「2泊3日の中でがっつり決めよう」なんて、決め方もある。それはチームビルディングなども兼ねているだろうけど、それでどこまで強度のあるテーマが決まるのだろうか。

どうしたらテーマが決まるか。それは僕だってなかなか答えを持ち合わせていない。ただ、僕はわりとずっと考えているような気がする。執筆しているときも、ご飯を食べているときも、スマホでNetflixの新作を眺めているときも。思考のどこか片隅で、うずうずと頭を抱えている「誰か」がいる。

ボトムアップで、テーマを決めるのが主流だ。

多くの企業や組織で、トップダウンでなく、「みんなで」決めることの意義が語られている。僕も色々な執筆を手掛けているが、「みんなで」ということが重視されているように、最近は特に感じている。

形だけなら、どうとでもなるだろう。

でも実際はどうか。正直なところ、僕はどれくらいボトムアップで、強度のある言葉が浮かんでくるかイマイチ想像がつかないのだ。それこそ、トップダウンで「ボトムアップでしっかり決めていく」という意思決定がない限り、ボトムアップでの取り組みは上手くいかないのではないだろうか。

誰も予想がつかない。

そんな未来に向けて、ひとつの回答を提示していく。

テーマを決める機会も増えていくだろう。個人のあり方も、ずいぶんと変わる予感がする。あなたは、どう生きるの?と。