愛するということ(遠又香さん #1)

二つ目の考察は、愛の問題とは、すなわち対象(人)の問題であって、能力でないと思い込んでいるということ。

愛することは簡単だが、愛するにふさわしい相手、あるいは、自分が愛されるにふさわしい相手になることは難しいと多くの人は考える。

ちょっとドキッとする表現だ。
失恋したときに、「私は愛されるに値しない人間(対象)なんだ!」と嘆いたことなんて誰にでもあるはずだ。

実際に、誰かを紹介するとき、「優良物件」と称することもあるように、その対象の価値で愛することができるか、できないかが決まってくると全く思っていないわけではない。(「優良物件」という表現は好きでないけれど)

三つ目の考察は、恋に落ちるという最初の体験と、愛の中にとどまっているという持続的な状態とを混同しているということ。

たがいに夢中になった状態、頭に血がのぼった状態を愛の強さの証拠だと思い込むが、それは、それまでふたりがどれほど孤独だったのかを示しているにすぎないかもしれないと。

これまた、う….…という気持ちになる。
“恋は盲目”とはいうが、“愛は盲目”とは言わない。恋に落ちたとき、この状態が永遠に続きますように……と願う一方で、続くことはないということも知ってはいる。

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では、愛が必要だと考える私たちは、どうすればいいのだろうか?

その答えはシンプルだ。愛の失敗を克服する適切な方法はひとつ。失敗の原因を調べ、そこからすすんで愛の意味を学ぶことだ。

そのための一歩は、愛は技術であることを知ることである。そして、他の技術と同じように理論と実践と好奇心をもって、学びつづけることが大事なのではないだろうか。

あなたにとっての愛とは?

そんな問い、私は、愛とは技術であり、学び続けるものであると定義する。

愛を学ぶために、どんなふうに日々実践しているのか……。
いろんな切り口で書いてみようと思う。

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