家が広いと、掃除が大変。(ふつうエッセイ #485)

年末年始は、実家で過ごした。

普段は「ジェンダー問わずなんちゃら!」などと声高に主張しているのだが、仕事をパラパラと行なっていたために、おせち料理の準備などは母や妻に任せきりだった。大反省である。

そのバチが当たったのか、今は、身体に怠さ / 寒気が乗っかってきて、非常にしんどい。うーん、思っていた年末年始の過ごし方と違う。

……それはさておき、実家で家族とともに時間を過ごしていたのだが、気付けば、両親がひっきりなしに掃除をしていた。年末の大掃除も兼ねていたのだろう。それにしても、何かしら掃除機を回していたような気がしている。

僕の実家は、2階建てだ。居住エリアの中では「並」くらいの広さだと思う。地方ということもあり、東京で暮らす我が家に比べたら断然広い。だから狭い家で息子が喧嘩なんかをしていると、「ああ、広い場所に引っ越したいなあ」なんてしばしば思ってしまう。

でも、そんな狭い我が家でさえ、せっせと掃除に勤しむことに苦心している。ということは、これが2倍、3倍の広さになったら、苦心どころの騒ぎじゃない。控えめにいって、めちゃくちゃ大変になるのだろう。(庭なんて所有したら、手入れなんかで時間も費用も取られてしまうだろう)

幼年期を思い出してみれば、家が広いからといって、スペースが十分あった記憶はない。何かしら物の置き場には困っていて、兄弟で場所の取り合いで喧嘩ばかりしていたような気がする。そして実家よりも遥かに広い、北海道にある父方の祖父母の家だって、物に溢れた生活をしていた。

つまり、広いからといってスペースを得られるかといえば、幻想に過ぎないわけだ。

もちろん、家が広いことで得られるメリットは計り知れない。だが、良いことばかりじゃないよね、というのも念頭に置いておいた方が良い。

我が家も、長男がいよいよ来年、小学校に入学する。リモートワークが一般的になった今、どこで働き、どういった働き方を志向するか、選択肢がそれなりに広がっている。そして2023年に入り、無数の選択肢の中から、本格的に検討すべき時期に入ってきた。

ありとあらゆることを考えなければならない。実に面倒極まりない。

だが、ちゃきちゃきとやることをこなすべきなのだろう。来年の今頃、落ち着いて「新しい年度」を迎えられるようにするためには、余念なく準備をしておかねばならない。

そう考えると、掃除が大変なんて、些末な問題だよなあ。

ぼんやりと面倒ごとを逃避すべく、こうしてタイピングしている。早く、胃腸の痛みが引いてくれれば良いのだが。