ティータイム(ふつうエッセイ #509)

しばらくティータイムという言葉を発した記憶がない。そういえば、最後に紅茶を飲んだのはいつだろうかと、ふと思い至った。

もっぱらコーヒー派で、自宅でも実家でも、たいていコーヒーを飲んでいる。もちろんカフェでもコーヒーを飲む。美容院でも「コーヒーか紅茶、どうしますか?」と訊ねられたら……答えは言うまでもないだろう。

でも、と思う。

僕は、別に紅茶が嫌いなわけではないのだ。

コーヒーと紅茶は、だいたいにおいて「どちらか」という選択肢のもとで提示される。コーヒーが好きな人はコーヒーで、紅茶が好きな人は紅茶を頼む。

あるいは「コーヒーが苦手」という人は、紅茶を頼むだろう。逆はどうなんだろう。別にコーヒーが好きでもないけれど、「紅茶が苦手」という理由でコーヒーを頼むことはあるのだろうか。「どちらも」苦手な人は、いったいどうするのだろうか。

こういうとき、僕は小説家になる道が困難であることを思い知る。自分以外の物事に、常にアンテナを張っているわけではないからだ。興味あるけれど、いかんせん、情報感度が鈍い。

明日、カフェに行ったら紅茶でも頼んでみようか。コーヒーを頼むと「ミルクつけますか?」なんて聞かれるけれど、紅茶はどうだったっけ?レモンとか、砂糖とか?

うーん、知らないことって、本当に知らないんだなあ。気付いていないだけど、世の中、そういうものだらけなんだろうなあ。