家庭内不協和音(ふつうエッセイ #467)

家族同士の不仲でなく、家の中で鳴る騒音についての話だ。

我が家は家事の効率化を図るため、食洗機と洗濯乾燥機を導入している。イニシャルコストは高くついたが、今やこれらの家電がなければ生活は成り立たないほど、テクノロジーの恩恵を受けている。

だが、調査不足もあった。

洗濯乾燥機の乾燥時間は、それなりに長いのだ。とりわけ冬は乾燥時間が長めで、下手したら5時間近く、ぐるぐると回っている。

だいたいのときは気にならないのだが、ときどき、無性に耐え難く感じてしまう。もっと静寂がほしい。うるさいなあ、仕事してるんだから、静かにしてよ!と思う。

対策は、極めてアナログだ。

時間に余裕があるときに乾燥機能を使わない、ということ。

もちろん手間は増えるけれど、それが精神衛生上、好ましいようだ。天気が良い日は、たまには洗濯物を干そうじゃないか。不協和音が気になるなら、不協和音を鳴らさなければ良い。それだけのことだった。

当然、ちょっと面倒くさい。

冬だから、天気や洗濯物の種類によっては、完全に乾かないこともある。

でも、「まあ、そういう日もあるよね」と納得し、ぼんやりと洗濯物をハンガーに通す。「あ、こんなところに染みがあるな」と気付くこともある。オートマティックなやりとりで気にならなかったことが、目につくようになる。

考えてみれば、巷でも、「目につかなくなった」ことがそれなりに多そうだ。

Suicaでピピっとタッチするようになって、渋谷〜新宿間の切符の値段は分からない。新宿から池袋まで足を伸ばすと、ちょっと値段が変わるだろうか。ピピっと精算され、後からクレジットカードにチャージ分が請求される。渋谷〜新宿を移動した分の請求がされるわけではないのだ。そりゃ、そうだろって感じだけど、昔は小銭を握りしめて電車に乗ったっけ。

だから田舎に行って、電子マネーが使えない電車に乗ると、ちょっとだけホッとする。不便だけど、「ああ、こういう地域がまだ残ってるんだ」と安心するのだ。

便利になったことで生じた不協和音を、ときどき、鳴らすのを止めてみようじゃないか。案外、見落としていた価値を再発見できるかもしれない。