猫か、猫たちか(ふつうエッセイ #433)

猫のことがそれほど好きでない僕でも、新海誠さん3年ぶりの新作「すずめの戸締まり」に出てくる猫・ダイジンはとてもキュートだった。

人間も臆するような高台から、「また遊ぼうね!」と言い放ち、別の船に飛び移るなど、アクロバティックな様も見せたダイジン。最初から最後までずっと姿を見せ続けていたが、ダイジンの視点からの映画も観てみたいと思ったのは、おそらく僕だけではあるまい。

猫。僕が幼少期の頃とは比べものにならないくらい、猫が人気である。

犬に比べて、猫は唯我独尊というか、マイペースな存在だ。ちょっと機嫌が悪ければ、飼い主の言うことなど全然聞かないという。でも、その分すり寄ってきたら最高なんだとか。

猫は、1匹だから可愛いのだろうか。

それとも複数いても可愛いままだろうか。

猫カフェは、それなりの数の猫がいると思うけど、対峙できる猫の数は限られている。だから参考にはならない。1匹だからこそ、猫は、その猫に向き合う1on1の状況が愛おしいのでは?と推察しているが、どうだろう。

可愛いものは、大量にあっても処理できない。

アイドルグループに対しては、結局、ファンはその中の1名ないし2,3名くらいに注目する。全体まではなかなか目が行き届かないのだ。

そんな仮説を立てているが、ぜひ、大量の猫が同時にいても可愛いんだという主張も歓迎したい。可愛いものは、たくさん集まっても、やはり可愛いのか。猫か、猫たちか。博愛主義かどうかは関係なく、その状況に陥るような映画でもあったら、多少ヒットするんじゃなかろうかと。