味にうるさい(ふつうエッセイ #384)

「味にうるさい」という慣用表現がある。

舌が肥えた食通を肯定的に評価することもあれば、「細部まで色々つっこんできて煩わしいな」と否定的に用いることもある。騒音・ノイズに対して不快であることを伝える「うるさい」という言葉。正反対の意味合いで使われるようになった過程を、機会があれば詳しい識者に伺いたい。

ただ個人的には、「味にうるさい」という表現をあまり聞かなくなったように思う。

否定・批判のような表現が嫌われている風潮だ。「うるさい」という言葉自体が使われなくなっているのではないか。(僕が小学生のときは、クラスが騒がしいと「うるさい!」と教師から一喝されたが……今やハラスメントとして認定される可能性が高い)

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そもそもなぜこんなエッセイを書こうとしたかというと、とあるお店で「味のうるさい関西人も唸らせた〜〜」といった宣伝文句が掲げられていたからだ。※お店の料理は関西発祥のもの

そうか、関西の方は「味にうるさい」のか……と納得しかけたけれど、それは一方的なステレオタイプじゃないかなとまず思ったのだ。だが前述の通り「味にうるさい」というのは必ずしもネガティブな表現ではない。ただその店では「グルメの関西人も唸らせた〜〜」とは書かなかった。その微妙なニュアンスの違いに、はたと考え込んでしまったのだ。

犬も歩ければ棒に当たる。もともとは「ふらふら歩いているだけで災難に遭うものだから、余計なことは控えるべきだ」といった用法で使われていた。だが、これくらいのことであれば、慣用表現など必要ないともいえる。「そのまま」言葉を尽くせば良いわけで。

でも、日本語はありとあらゆる表現が生まれてきた。現在進行形で、生まれ続けている。ネットスラングだった「w」、普通にビジネスコミュニケーションでも「w」が使われているが、誰がここまで広がりを持つと思っただろうか。

正しい日本語、正しくない日本語などは存在しない。

起きていること全てが事実であるように、使われている言葉は、全て、正真正銘の言葉である。そのことに、いつまでも興味深くありたい。