仕事をナメていた私が、仕事を愛せるようになるまで(BUBBLE-Bさん #1)

好きこそ物の上手なれ。

自分の興味があることや、趣味でやってきたことを直接活かせるような場面では、人よりも高いパフォーマンスを出せる。少しでもそのポジションに行くこと、もしくは作ることが大切だった。

とはいえ、色んなタイミングで突然終わりを迎えたり、足下を掬われたりもする。それは仕方がない。「好き」についてこだわることは贅沢なことだし、ある意味柔軟性のない不器用な生き方なのだから。

そもそも会社の仕事とは、誰かの「好き」のために用意されているのではない。売上を上げるための手段でしかないので、人員計画上、全く好きでもない仕事に回されることだってある。(むしろ、その方が多いだろう)

好きじゃない仕事に就いた時、どれだけのパフォーマンスを出せるのか?
それが、サラリーマンの真の実力だ。

口ばかり達者で、声がデカくて陽気な人がスイスイと昇進していくのを見たことがあるだろう。
そういう人はどんな仕事に就いても、そこそこの結果を残して、周囲と上手くやっていく。

それに対して、「ボーリング大会、出世のために行った方がいいよ。僕は技術力があるから行かないけどね」と言ったかつての上司のように、サラリーマンとしての柔軟性に欠けた人もいる。彼は「技術力」という一点張りで自分の居場所を確保していたのだ。その人に営業の仕事をさせたところで、散々な結果しか残せないだろう。

会社員として求められるのは、「サラリーマン力」のある人か、「技術力」のある人か、そのどちらかしかない。

私はサラリーマン力はからっきしで、むしろ嫌悪していたほどなので、技術力で突破するしかなかった。しかし、私が有している技術力とは何なのだ?

上述した通り、私は1社目の会社で「業務中にネット見過ぎ」と言われた。だが、実は2社目以降も全ての会社で「業務中にネット見過ぎ」と言われている。

ここに何かのヒントが隠れていると思った。

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