ビジネスホテルと旧知の友人(ふつうエッセイ #342)

ビジネスホテルよりも、旅館の方が好きだ。

出張が多かったとき、駅前にあるのはだいたいビジネスホテルだった。だからプライベートでも、宿泊といえばビジネスホテル一択だった。

出張を伴う仕事から離れた。息子が生まれ、家族とともに旅行に行く機会も増えた。駅前から離れた場所も候補地に加えるだけで、和室で、良い感じの広さの旅館を見つけることができる。

*

ただ捨て難いのは、ビジネスホテルの安定感だ。

6年前、週の半分が大阪出張だった時期があった。実に10ヶ月ほど続いたその旅路はなかなかタフで、慣れない仕事に常時疲れているような状態だった。

最初は好奇心もあって、出張のたびに良さそうなビジネスホテルを探していたが、しばらく経つと同じビジネスホテルに滞在するようになった。オフィスに近かったし、何より安定感があった。

どこに何があって、何がないのか(期待できないのか)がちゃんと分かっているというのは、すごく楽なのだ。

これは「ひと」でも同じかもしれない。

転職したばかりのときというのは、新しい同僚と信頼関係を築くことに苦心する。飲み会が苦手だったとしても、なるべく「付き合い」を優先させる。「公」だけでなく「私」を伝えることも、良好な関係づくりには欠かせない。ただこのとき、どれくらいの「私」を出すべきなのかは常に微妙な線引きがあって。出し惜しみするのも失礼だし、かといって出し過ぎると収め方に四苦八苦してしまう。

地元に帰り、旧知の友人と酒を酌み交わすとき、「私」を曝け出すという意識はない。鼻を垂らしていたことも、オネショしていたことも知っている。初恋の女性が重複していたこともあるし、妻にさえ言えない「武勇伝」も共有したりしている。

旧知の友人には、仕事の話をする人もいれば、そうでない人もいる。でも、スイッチを切り替えるがごとく頭を使うような感覚でもない。気付けば自然にできている。この安定感は、なかなか代え難いものだ。

コロナ禍で、恒例の飲み会も少なくなってしまった。気構えず、あれやこれやを披露できる場がないと、自分自身の喜怒哀楽のバランスが悪くなってくる。心の安定感が失われると、支障が出てくることもあろう。

たまには泊まりたくなるビジネスホテルと、ちょっとだけ似ている気がする……。ってちょっと強引な繋げ方だろうか。ちょっと生活に支障が出ているらしい。また、あいつらと、のんびりと酒を飲みたい。