平日の屋外プール(ふつうエッセイ #324)

僕の住んでいる町には、自治体が運営している大きめの屋外プールがある。

休日になると大変混雑する。コロナ禍の現状で入場規制がかかるのだが、なんとかその間を突破するだけでも、ひと苦労だ。

真夏に灼熱の公園で遊ぶわけにもいかない。だから親は、必死で屋外プールに入れるよう段取りを進める。というわけで無事プールに行き着いたら、同じようなことをした親御さんたちとの連帯で感傷に浸ってしまう。

そんな屋外プールだが、今日、所用のために近くを立ち寄った。昼過ぎまでそこそこ雨が降っていたこともあり、平日雨上がりの屋外プールはガラガラだった。いや正確に言おう。僕はガラガラであるスペースでなく、ガラガラの屋外プールに存在した人たちに刮目したのである。

つまり、彼らは雨上がりのタイミングを狙って、屋外プールを訪ねたのだ。そのアクティブさ、フレキシビリティに感心してしまった。

考えてみれば、たしかに今日の午後は「雨が止む」という予報だった。午前中はけっこうな土砂降りだったけれど、「きっと止むだろう」と予測を立てて、そのタイミングを見計らったのだろうか。いやそれとも、ふと窓の外を見やって「雨止んでるじゃん!」ということで屋外プールに急遽向かったのだろうか。

ちなみに僕が屋外プールのそばを通ったのは、かろうじて小雨混じりの天候のときだ。そのタイミングで水着着用で泳いでいるということは、かなり見計らうタイミングが早かったということだ。うーん、すごい。

たまたま通りかかったに過ぎないけれど、いつもの場所で、非日常のドラマが繰り広げられている。「現実は小説より奇なり」。奇妙なのは彼らなのか、僕なのか。イマイチ確証は持てない。