どうしたって、ノイズは入る(ふつうエッセイ #273)

昨日書いたエッセイの続きを。

今回はとりあえず、本当に「どうでもいい」ことをノイズだと仮定して……。ノイズを遮断するためにはどうしたら良いのか考えてみたい。

例えばTwitterには、ミュート機能がある。アカウントと特定のワードをミュートにすれば、わりと多くの情報を遮断することができる。

僕の場合、ミュートしているアカウント数は45個、ワード数は44個ある。

僕は、著名人の「浮気」や「不倫」に関する報道に全く興味がない。浮気や不倫に走る人たちの感情には多少の興味があるけれど、それがひとたび週刊誌やワイドショーを通過すると、途端にノイズになってしまうのだ。

そんな感じで、僕は「浮気」「不倫」をミュートにしているというわけだ。

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だが、僕が接しているメディアはTwitterだけではない。

うっかりポータルサイトを開けば、途端に「浮気」や「不倫」に関するニュース見出しが目に入ってきてしまう。

そんなときどうすれば良いか。ピンポイントで解決する策は、ない。

だから僕は、ほとんどのポータルサイトへのアクセスを減らしている。(全く見ないのが理想だけど、つい惰性で見てしまうことがある)

僕も「ふつうごと」というサイトを運営していく中で、色々なメディアをリサーチしている。やはり多くのサイトで、ノイズ的な情報の取り扱いには苦心しているように思う。ノイズだけど需要があるものというのは確かに存在していて、それで収益を得られるのであれば……ということで苦し紛れにノイズ的な情報を掲載しているサービスもある。あるいは、むしろ積極的にノイズ的な情報を掲載していることも。

ひとついえるのは、どの情報を掲載するかだけでは、そのサービスの特徴を言い当てることができないということ。

僕は、ノイズ的な情報をどう取り扱っているかが、サービス運営者の本質を見極めるひとつの方法だと思っている。

どうしたって、ノイズは入る。

そのノイズの入り方を探っていくと、社会がなかなか「ふつう」へと進まないことがよく理解できる。この辺りの考察は、まだまだ、ひたすら続いていくだろう。

それがある意味で、「ふつうとは何か」を考えることにもつながるからだ。