続・ムカムカする(ふつうエッセイ #269)

昨日、アンガーマネジメントに関する私見を述べた。

僕はアカデミックな世界に身を置いているわけではないので、記述した内容に誤りがあったとしたら先んじてお詫びしたい。誰にも指摘されていないのに、先回りしてお詫びするのは真摯さに欠けるような気もするけれど、一部正確でないことを書いてしまっているリスクは承知している。リスクは早めに潰さなくちゃいけない。リスクヘッジという、打算的な行為。その辺りの清々しくない自らの心理も晒した上で、併せてお詫び申し上げる。

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さて、ムカムカする続編なのだが、おそらくこのエッセイを長らく読んでくださっている方は、僕がそれなりに「ムカムカする傾向がある」人物であることを感じ取ってくれているのではないか。

そうなのだ。それこそ巷でいわれているようなアンガーマネジメントを適用すべきなのだが、どうもムカムカしてしまう。イライラしてしまう。

先日もインターネットを眺めていたら、プロ野球を引退した谷繁元信さんが、同じ捕手の野村克也さん、古田敦也さんと比べて打撃が弱いというコメントを見て、またムカムカしてしまった。しかもそのコメントには「二人と比べると足元にも及ばない」という修飾語が重ねられていて、往年の中日ドラゴンズファンとしては黙っていられなかった。(コメントに返信などはしていないので、結果的に黙っているのだが)

なぜ僕は、このことについてムカムカしてしまうのだろう。

一歩離れてみると、実に不思議なことのように感じる。谷繁元信さんは、赤の他人だ。中日ドラゴンズのファンだとはいえ、たかが他人である。谷繁さんが現役時代に稼いだ報酬の0.01%でも、僕の懐に入ってきたわけではない。(むしろ僕がナゴヤドームに通って、支払ったチケット代やユニフォーム代などが谷繁さんの報酬の原資になっている)

だからこそと言えるのだろう、赤の他人だけど、ファンである僕は谷繁さんに親近感を抱いており、谷繁さんを不十分な理解のもとで批判することにムカムカしてしまったのだ。

親近感というのが、曲者なのだ。

親しくて、近しいと思える関係。居酒屋で谷繁さんと遭遇したら、僕は顔を真っ赤にさせるほど感動するが、谷繁さんはポカンとした顔で僕を見つめるだけだろう。まあこの手の対応は慣れているだろうから、握手くらいはしてくれるかもしれない。

でも、ハッキリいってお互いは親しくないし、近しくもない。極端に近付こうとするものならば、警察を呼ばれてしまうかもしれない。

実は、世の中にはそんなムカムカが多い。

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でも、そういった親近感を抱くからこそ、他人事にも当事者意識を持てるのだ。社会問題といわれるものの多くは、マジョリティにとって他人事に過ぎないものだ。でも焦点が当たっている物事について、様々な感情を抱けるのだから、親近感だって「曲者」扱いされるのは本意ではないだろう。

ムカムカする、と共に、ムラムラするという言葉を唱えたのは古市憲寿さんだ。デビュー作の『希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想』の中で、世の中に蔓延する穏やかでないモードを言い当てた。(2作目の『絶望の国の幸福な若者たち』だったかもしれません)

あなたは、ムカムカしていますか?それともムラムラしていますか?

その微妙な差異を見極めながら、健全にムカムカすること。生きやすくなる……わけではないけれど、自分自身をそれなりに正当化しながら生きていけるだろうと思うのだ。