どこのカフェとは言わないけれど(ふつうエッセイ #259)

使っているMacBook Airの電源アダプタが、刺さらない。

画像

写真では見づらいけれど、上部に「出っぱり」のようなものがある。あと1センチ余裕があれば電源アダプタが挿入できたのだけど、その差異が不幸な不便を生んでしまった。

水が電源にかからないためのデザインだろうか。しかし、そのリスクよりも客の利便性を考えてほしかった。僕がカフェに滞在している間、パソコンを開いて作業していた人が4人はいたから、この席が「仕事で使われる」という想定されていたはずだ。

どこのカフェとは言わないけれど。

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「どこの誰とは言わないけれど」
「どこの商品とは言わないけれど」

具体的な名前を挙げて糾弾したい意思はないけれど(椅子の座り心地や店内の雰囲気は良かったから)、このようなデザインは改善されてほしいと願う気持ちはある。

お問い合わせフォームに連絡するほどではないけれど。

世の中は、そんな些細な「けれど」に溢れていて、誰かが「あ!」と気付くことで、ちょっとずつ改善していると僕は信じている。

僕も、預かり知らぬところで言われているかもしれない。

「堀に伝えるほどではないんだけれど」

きっと、言われている。思われている。

何を言われているか分からないけれど、日々の自分自身を振り返ると、「あれもアカン、これもアカン」という言動が見えてくる。

だから、お互いさまなのだ。

お互いさまなのだから、このカフェのことも悪く思わないようにしよう。実際のところ、恨んでいる気持ちは一切ない。

幸いなことに、充電しなくても大丈夫なほどバッテリーは十分にあった。良かったね。しかもエッセイのテーマも見つけられたのだから!