僕はもうかつての自分じゃない。「あなたはわからない人の気持ちがわからないのよ」という彼女の言葉に対しても、だったら、わかるように努力すればいいんだ、と前向きになれる強さがあった。それからというもの、「共感すること」が僕のテーマになった。
元来、僕は他愛のない話をするのは得意じゃない。共通の知り合いの近況とか、一緒に入った定食屋の感想とか、ひとことふたことで済むような話題を長々と話すことはできない。でも、彼女が話し続ける限りは、そうだねと、相槌を打ちながら話を聞くようにした。
他愛のない話は苦手な一方で、映画好きな仲間と、映画の感想を語り合うのは好きだった。特に、ヒューマンドラマ系やノンフィクション・ドキュメンタリーの深いやつ。それを、自分なりの解釈を加えながら、時間をかけて掘り下げていくような対話が好きだった。映画を題材に議論するという表現のほうが近いかもしれない。だけど、彼女に見終わった映画の感想を求めても、つまらなそうに、お腹減った、などと軽い話をし始める。僕は、せっかくの映画の世界観が深まらないことに苛立ちを覚えつつも、深追いはしない。彼女から、面白かったね以外の感想が出てこなかったとしても、もっと他にないの?と問い詰めたりはしない。
僕は自分に言い聞かせていた。相手の気持ちを理解するんだ。同じ映画を観て、自分のように深く感じ入る人だけじゃない。そうだ、彼女には、僕と堅苦しい話をするのは照れくさい気持ちもあったのかもしれない。いずれにせよ、僕は、そうだね面白かったね、と応えて、何食べようか?と話題を変える。ここは、共感が大事なんだ。目を見て、相手の話にうなずきながら聞くんだ。
そんな頃、彼女は僕にある言葉を言った。今でも胸に突き刺さる一言を。